高橋節郎について
高橋節郎
高橋節郎紹介
高橋節郎(たかはし せつろう
1914(大正3)年-2007(平成19)年)
長野県、現安曇野市(穂高)出身
漆芸術家
文化勲章受章・文化功労者
東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科漆工部卒。
同校研究科修了。日本芸術院会員。東京藝術大学名誉教授、
日展顧問、現代工芸美術家協会常任顧問、信州美術会会長などを務めた。
高橋節郎は1914年、現安曇野市穂高に生まれました。少年期を穂高町、松本市で過ごし、東京美術学校(現東京藝術大学)に進学、工芸科漆工部に学びます。美術学校研究科を卒業してすぐに、漆芸作品で文展(現日展)に入選します。20代半ばにして全国規模の大きな展覧会に入選を果たし、異例の若さでその芸術の価値が認められたと言えましょう。以後今日まで、美術界の第一線で活躍し続けました。
高橋節郎の芸術界における功績のひとつに、伝統的な漆工芸の領域から純粋な美術作品としての漆芸術の領域へと、漆の世界を切り開いたということがあげられます。従来にはなかった純粋美術の方面から漆にアプローチする道を開いたこと自体が、高く評価されるのです。表現したいものを自由に表現するために、「漆パネル」という平面作品の表現形式を生み出し、モチーフや作品世界にも、伝統にとらわれない自由な表現によるものへと変化をもたらしました。さらに、技法の開発により、透けたような表現や、微妙な明暗の表現を可能にしています。
漆を最も美しくみせるためのさまざまな試行錯誤のうえに、辿り着いたのが黒と金による表現でした。艶と光をたたえた漆の黒は、観る者の想像力により無数の色を帯びた表現となり、また、平面に奥行きを持たせスケールの大きさを表現したり、静けさや落ち着きを観る者の心にもたらしたりします。
その独自の芸術世界は漆の平面作品だけでなく、漆立体作品や、墨彩画などにも表れています。高橋節郎の作品は、根底にうかがい知れる精神世界の共通性が高く、そのことは、高橋節郎という芸術家が表現についての哲学とポリシーをしっかりと持っていることを示してもいます。
また、平面作品以外にも、壷、クラフト作品、漆版画など、さまざまな漆作品を生み出しています。高橋節郎の挑戦は、常に漆芸界に風穴を開け続け、刺激を与え続けました。漆芸の新たな可能性を見出し更なる魅力を引き出して、広く普及させることが、高橋節郎の『生涯の仕事』であったのでしょう。
→高橋節郎の技法