公益財団法人 安曇野文化財団

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高橋節郎 年譜

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年代 年齢 出来事
1914年
(大正3)
0歳 9月14日、父太一・母梅見の三男として長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)に生まれる。
1921年
(大正10)
7歳 北穂高村尋常小学校に入学。
1923年
(大正12)
9歳 長野師範学校附属小学校に転校。ホープラージ牧師館に居住。
1924年
(大正13)
10歳 松本尋常高等小学校旭町部に転校。
1927年
(昭和2)
13歳 松本尋常高等小学校旭町部卒業、松本中学校(現松本深志高校)に入学。
松本中学時代 美術教師、宮坂勝と出会う。おおらかで温かい人柄と教育方針に、描くことの喜びを覚える。
陸上競技部「天馬会」では競技に熱中、インターミドルにも出場した。また、父の近衛連隊時代の友人、結城素明の写生旅行(中房温泉)にも同行し、絶えずスケッチする姿に影響を受ける。
1932年
(昭和7)
18歳 松本中学校を卒業。
1933年
(昭和8)
19歳 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。
美術学校時代 二科会研究所に通い、熊谷守一、有馬生馬、石井伯亭等に、デッサンや油絵を学ぶ。また、古賀春江のシュールレアリスムの作品に大きな影響を受け、古賀氏宅を訪ねたりもした。美校「上野の杜ラグビー部」では、スリーコーターウイングとして活躍。
1938年(昭和13)、東京美術学校工芸科漆工部を卒業、卒業制作に衣装箱を提出。銀時計を受ける
同校研究科に進む。
同年4月、金子徳次郎、黒瀬英雄、小杉二郎と「型會」を結成、銀座資生堂ギャラリーで「型會第一回発表」展開催。
また同年11月、草月流勅使河原蒼風家元と監事諸氏のいけばなによる、「高橋節郎創作漆芸花器第一回発表展」開催。
1939年(昭和14)には、第4回実在工芸美術展で実在工芸奨励賞を受賞。
1940年
(昭和15)
26歳 東京美術学校研究科を修了。
紀元二六○○年奉祝展に《ひなげしの図小屏風》(漆屏風)を出品、初入選。
1941年
(昭和16)
27歳 第4回新文展に《木瓜の図二曲屏風》(漆屏風)を出品、特選・政府買上げ。
1942年
(昭和17)
28歳 第5回新文展に《漆朝夕衝立》(漆衝立)を出品、入選。
1943年
(昭和18)
29歳 第6回新文展に《秋の色種漆棚》(漆棚)を出品、入選。
1944年
(昭和19)
30歳 戦時特別展に《紅梅白梅漆手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1946年
(昭和21)
32歳 戦後、第1回日展に《菊籬蒔絵文庫》(漆文庫)を出品、入選。
第2回日展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1947年
(昭和22)
33歳 第3回日展に《花の手筥》(漆手筥)を出品、入選。
1949年
(昭和24)
35歳 第5回日展に《花の星座壁面装飾》(漆パネル)を出品、入選。
株式会社マルニ工芸漆器製作所にて、輸出向けおよび駐留軍向けの金胎漆器のデザインを担当。
1951年
(昭和26)
37歳 第7回日展に《星座》(漆パネル)を出品、特選、朝倉賞を受賞。
1952年
(昭和27)
38歳 染川鉄之助、佐治賢使、蓮田修吾郎等と「創作工芸協会」を設立、同人になる。
資生堂ギャラリーで第1回創作工芸展を開催、《盛器》(盛器)《花器A》《花器B》《花器C》《花器D》《花器E》(花器)を出品
(第2回展より銀座和光で開催)。
第8回日展に漆パネル《街と花火》を無鑑査出品。
株式会社日本ドラム缶製作所デザイン部にて、ラッキープレートなどクラフト作品のヒット商品を生む。
1953年
(昭和28)
39歳 第9回日展に《森》(漆屏風)を出品、審査員。
1954年
(昭和29)
40歳 第10回日展に《踊り》(漆額)を出品。
「高橋節郎漆絵展」開催(松本開運堂画廊)。
1955年
(昭和30)
41歳 第1回個展開催(日本橋三越)。
第11回日展に《都会の歌》(漆屏風)を出品。
1956年
(昭和31)
42歳 日ソ招待展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、ソビエト政府買上げ。
第12回日展に《都会にだってみのりはある》(漆屏風)を出品、川合玉堂資金により買上げ。
1957年
(昭和32)
43歳 第2回個展開催(日本橋三越)。
第13回日展に《遙かなる郷愁》(漆パネル)を出品。
1958年
(昭和33)
44歳 社団法人日展評議員になる。
第1回新日展に《作品58》(漆サイドボード)を出品、審査員
1959年
(昭和34)
45歳 第2回新日展に《杉の木の寓話》(漆屏風)を出品。
「第2回高橋節郎スグラフィード漆絵展」開催(日本橋三越)。
1960年
(昭和35)
46歳 第3回新日展に《蜃気楼》(漆屏風)を出品、文部大臣賞を受賞。
「創作工芸協会」から発展した工芸「円心」を蓮田修吾郎、帖佐美行、佐治賢使、辻光典、佐野猛夫、清水九兵衛らと設立、同人になり、第1回展開催(日本橋高島屋)。
1961年
(昭和36)
47歳 第4回新日展に《蜃気楼「空中都市」》(漆屏風)を出品、審査員。
「円心」第2回展開催。
社団法人現代工芸美術家協会を結成。
1962年
(昭和37)
48歳 「高橋節郎展」開催(日本橋画廊・東京)。漆の特質を生かした独創の漆絵版画(モノタイプ)、《断層》(A、B、C、D)、《流雲》(A、B、C)、《層土》(A、B、C、D)、《断雲》(A、B、C、D)、《層雲》(A、B、C、D)、《断壁》(A、B)を出品。
第5回新日展に《断層》(漆屏風)を出品。
第1回日本現代工芸美術展に《幻》(漆パネル)を出品。
「円心」第3回展開催、《静物》(漆パネル)を出品。
第1回和光展を開催。
1963年
(昭和38)
49歳 第6回新日展に《化石》(漆パネル)を出品、審査員。
第2回日本現代工芸美術展に《跡》(漆パネル)を出品。
第12回五都展に漆絵《静物》を出品。
「円心」第4回展に漆絵版画《触》(A、B、C)を出品。
第2回和光展に《街の見える静物》(漆パネル)《花の街》(漆パネル)を出品。
1964年
(昭和39)
50歳 日本現代工芸美術巡回メキシコ展、アメリカ展に出品。
第7回新日展に《化石譜》(漆屏風)を出品。
第3回日本現代工芸美術展に《古墳》(漆パネル)を出品。
第13回五都展に《紅梅白梅漆盛器》(漆盛器)を出品。
「円心」第5回展に《化石深海》(A、B)(漆パネル)を出品。
第3回和光展に《湖水の見える静物》(漆パネル)《果実女人》(漆パネル)《都会女人》(漆パネル)を出品。
1965年
(昭和40)
51歳 前年の新日展出品作品に対して、第21回目本芸術院賞を受賞、日本芸術院買上げ。
ベルリン芸術祭に出品。
第8回新日展に《化石の年輪》(漆屏風)を出品。
第4回日本現代工芸美術展に《化石抄》(漆パネル)を出品。
「円心」第6回展に《森の見える静物》(漆パネル)《室内》(漆パネル)を出品。
第4回和光展に《地平線のみえる静物》(漆パネル)を出品。
1966年
(昭和41)
52歳 日本現代工芸美術巡回ローマ展、協会代表として渡欧。
第9回新日展に《化石の森》(漆屏風)を出品。
第5回日本現代工芸美術展に《化石詩》(漆パネル)を出品。
松本市井上デパートで「高橋節郎」展を開催。
「円心」第7回展に《遠くに団地が見える》(漆パネル)《地平線の見える風景》(漆パネル)《静物》(漆パネル)を出品。
第15回五都展に漆盛器《花》を出品。
第5回和光展に《森の中の静物》(漆パネル)《みのり》(漆パネル)を出品。
1967年
(昭和42)
53歳 日本現代工芸美術巡回ロンドン展、モントリオール展に出品。
第10回新日展に《化石譚》(漆屏風)を出品、審査員。
第6回日本現代工芸美術展に《化石群》(漆パネル)を出品。
「円心」第8回展に《ベニス・旅の印象》(漆パネル)《ノートルダム・旅の印象》(漆パネル)を出品。
第16回五都展に漆絵《花》を出品。
第6回和光展に《旅の印象》(A、B)(漆パネル)を出品。
1968年
(昭和43)
54歳 日本現代工芸美術東欧巡回展に出品。
第11回新日展に《化石標》(漆屏風)を出品。
第7回日本現代工芸美術展に《化石帯》(漆パネル)を出品、東京都買上げ。
「円心」第9回展に《麦と静物》(漆パネル)《紫陽花》(漆パネル)《花の風船》(漆パネル)を出品。
第17回五都展に《花とレモン》(漆パネル)を出品。
第7回和光展に《パンジーと地平線》(漆パネル)《森の中の静物》(漆パネル)《花》(漆パネル)を出品。
1969年
(昭和44)
55歳 改組第1回日展に《化石幻映》(漆屏風)を出品、理事に就任。
日本現代工芸美術巡回サンフランシスコ展、中南米展に出品。
第8回日本現代工芸美術展に《層》(漆パネル)を出品。
「円心」第10回展に《蛋気楼》(漆パネル)《丘の見える静物》(漆パネル)《あじさい》(漆パネル)を出品。
第8回和光展に《窓辺の静物》(漆パネル)《静物》(漆パネル)を出品。
1970年
(昭和45)
56歳 第2回日展に《化石映像》(漆屏風)を出品、審査員。
第9回日本現代工芸美術展に《海層》(漆パネル)を出品。
第19回五都展に《洋蘭》(漆パネル)を出品。
第9回和光展に《花》(漆パネル)《花》(漆パネル)《花》(漆パネル)を出品。
1971年
(昭和46)
57歳 第3回日展に《悠久の記》(漆屏風)を出品。
第10回日本現代工芸美術展に《海碑》(漆パネル)を出品。
第20回五都展に《麦と花》(漆パネル)を出品。
第10回和光展に《花》(漆パネル)《山の見える静物》(漆パネル)を出品。
1972年
(昭和47)
58歳 第4回日展に《天宙の記》(漆屏風)を出品、審査員。
第11回日本現代工芸美術展に《紋》(漆パネル)を出品。
社団法人現代工芸美術家協会東京会会長に就任。
第21回五都展に《湖上静物》(漆パネル)を出品。
1973年
(昭和48)
59歳 第5回日展に《金環の記》(漆屏風)を出品。
第12回日本現代工芸美術展に《遠い記憶》(漆パネル)を出品。
第22回五都展に《静物》(漆パネル)を出品。
1974年
(昭和49)
60歳 第6回日展に《遠森の記》(漆屏風)を出品。
第13回日本現代工芸美術展に《遠い森の記憶》(漆パネル)を出品。
1975年
(昭和50)
61歳 第7回日展に《星座創記》(漆屏風)を出品、審査員。
第14回日本現代工芸美術展に《惜日譜》(漆パネル)を出品。
第24回五都展に《花》(漆パネル)を出品。
1976年
(昭和51)
62歳 東京芸術大学美術学部教授に就任。
第8回日展に《古墳映像》(漆屏風)を出品。
第15回日本現代工芸美術展に《遠い森の饗宴》(漆パネル)を出品。
1977年
(昭和52)
63歳 第9回日展に《古墳群映》(漆屏風)を出品。
第16回日本現代工芸美術展に《宙》(漆パネル)を出品。
東京都美術館運営審議会委員をつとめる(1986年まで)。
1978年
(昭和53)
64歳 第10回日展に《古墳借景》(漆屏風)を出品、審査員。
第17回日本現代工芸美術展に《標》(漆パネル)を出品。現代工芸美術家協会理事長に就任。
第27回五都展に《双花》(漆パネル)を出品。
1979年
(昭和54)
65歳 第11回日展に《古墳月彩》(漆屏風)を出品、監事。
第18回日本現代工芸美術展に《遺跡の跡》(漆パネル)を出品。
「近代日本の漆芸」展 (東京国立近代美術館工芸館)に《古墳群映》(漆屏風)を出品。
1980年
(昭和55)
66歳 第12回日展に《樹下小憩》(漆パネル)を出品、審査員。
第19回日本現代工芸美術展に《花饗》(漆パネル)を出品。
社団法人日本漆工協会副会長に就任、漆工功労者として表彰される。
1981年
(昭和56)
67歳 第13回日展に《樹下好景》(漆パネル)を出品、理事に再任。
第20回日本現代工芸美術展に《春待賦》(漆パネル)を出品。
「東京芸術大学教授退官記念・高橋節郎展」(東京芸術大学陳列館)を開催。同館に《惜日譜》を寄贈。
作品集『漆・黒と金の世界』を刊行。
日本芸術院会員に推挙される。
1982年
(昭和57)
68歳 第14回日展に《古墳松韻》(漆屏風)を出品、審査主任。日展常務理事に就任。
第21回日本現代工芸美術展に《丘陵好日》(漆パネル)を出品。
社団法人現代工芸美術家協会副会長に就任。
東京芸術大学美術学部教授を定年により退官。
小原流家元小原豊雲と二人展を開催(銀座松坂屋)。
「近代日本の漆芸」展(ベルリン国立美術館アルテスムゼウム、ドレスデン国立美術館ピルニッツ工芸館)に《古墳群映》を出品。
穂高町(現安曇野市)名誉町民となる。
1983年
(昭和58)
69歳 第15回日展に《古墳星河》(漆屏風)を出品、審査員。
第22回日本現代工芸美術展に《追憶記》(漆パネル)を出品。
「素描」展を開催(銀座松屋)。信州美術会会長に就任。
「高橋節郎自選展」開催(松本日本民俗資料館)。
松本市に《樹下好景》(漆パネル)を寄贈、翌年紺綬褒章を受章。
1984年
(昭和59)
70歳 第16回日展に《古墳春秋》(漆屏風)を出品、審査員。
第23回日本現代工芸美術展に《麦中譜》(漆パネル)を出品。
「北信濃を描く-高橋節郎展」開催(銀座松屋)。
「黒と金の世界高橋節郎」展開催(豊田市民文化会館・豊田市)。
豊田市に漆屏風、漆パネルを含む作品75点を寄贈する。
穂高町合併30周年記念「高橋節郎展」開催(穂高町(現安曇野市)陶芸会館)。
フジテレビ「テレビ美術館」に出演する。
1985年
(昭和60)
71歳 第17回日展に《古墳悠悠》(漆屏風)を出品、審査員。
第24回日本現代工芸美術展に《陽春賦》(漆パネル)を出品。
文部省大学設置審議会専門委員に就任。
練馬区立美術館運営協議会委員に就任。
豊田市に財団法人高橋記念美術振興財団が設立、豊田市文化賞を受賞。
1986年
(昭和61)
72歳 第18回日展に《星座回帰》(漆屏風)を出品。
第25回日本現代工芸美術展に《風光讃歌》(漆パネル)を出品。
「高橋節郎四季風景墨彩とうた」展開催(銀座松屋)。
「高橋節郎ロマンの世界」展開催(豊田市民文化会館・豊田市)。
「漆黒に煌く高橋節郎ロマンの世界-漆芸50年の軌跡」展開催(長野県信濃美術館)。
勲三等瑞宝章を受章。
1987年
(昭和62)
73歳 第19回日展に《星座無限》(漆パネル)を出品。
第26回日本現代工芸美術展に《天恵》(漆パネル)を出品。
「高島屋美術部創設八○年記念 鎗金と蒔絵 高橋節郎」展開催(高島屋、東京・大阪)。
「東京芸術大学創立100周年記念 新体制から今日まで歴代教官の美の精華」展に《古墳悠悠》(漆屏風)《風光讃歌》(漆パネル)を出品。
埼玉県蕨市三学院極楽寺の障壁画《山河静動》を完成。
1988年
(昭和63)
74歳 第20回日展に《星座煌煌》(漆屏風)を出品、審査員。
第27回日本現代工芸美術展に《晴れ日》(漆パネル)を出品。
「星と海と高橋節郎漆芸」展開催(猿投棒の手ふれあい広場・豊田市)。
「日展八十年記念」展(銀座松屋)に《古墳春秋》(漆屏風)を出品。
1989年
(平成1)
75歳 第21回日展に《日岡月岡》(漆屏風)を出品。
第28回日本現代工芸美術展に《麦丘》(漆パネル)を出品。
「神秘と浪漫の煌き 高橋節郎」展開催(朝日新聞社主催、銀座松屋)。
1990年
(平成2)
76歳 第22回日展に《澄高》(漆屏風)を出品。
第29回日本現代工芸美術展に《花天》(漆パネル)を出品。
文化功労者に顕彰される。
長野県知事より芸術文化功労者として表彰される。
1991年
(平成3)
77歳 第23回日展に《星空円舞》(漆屏風)を出品、審査員。
第30回日本現代工芸美術展に《万化》(漆パネル)を出品。
「日本現代工芸美術第30回記念秀作展」に《麦丘》(漆パネル・当館所蔵)を出品。
「アジア漆文化21世紀の展望中国現代漆画」展(日中友好会館) 開催記念シンポジウムのパネリストをつとめる。
1992年
(平成4)
78歳 第24回日展に《満天星花》(漆屏風)を出品、審査員。
第31回日本現代工芸美術展に《春秋譚》(漆パネル)を出品。
「伝統と前衛 今日の日本における工芸」展(ドイツ、フランクフルト市立工芸美術館)に《月光》(漆飾盤)を出品。
長野県松本文化会館大ホールの緞帳《慶雲(孔雀雲)》を完成。
日本現代工芸美術長野会特別展示「高橋節郎」展開催(長野県立松本文化会館ホール)。
河北新報社95周年記念第1回河北工芸展に《爽やかなる室内》(漆パネル)を出品、審査員。
「石川県輪島漆工芸美術館開館記念特別展 現代漆芸の巨匠たち」展に《惜日譜》(漆パネル)を出品。
伊勢神宮式年遷宮記念美術館に《献華》(漆パネル)を献納。
1993年
(平成5)
79歳 第25回日展に《星空交響詩》(漆屏風)を出品。
第32回日本現代工芸美術展に《四季抄》(漆パネル)を出品。
第2回河北工芸展(河北新報社主催)に《月光》(漆飾盤)を出品、審査員。
「松本市民タイムス安曇野支社落成記念 高橋節郎展」開催(同支社ホール)。
NHKテレビ「土曜美の朝」に出演。
1994年
(平成6)
80歳 第26回日展に《星座物語》(漆屏風)を出品。
第33回日本現代工芸美術展に《春秋譜》(漆パネル)を出品。
「高橋節郎展一漆屏風・木芯乾漆・蒔絵飾盤・墨彩一」を開催(日本橋三越本店)。
「日本古典秀作書道」展(日本橋東急)に《万葉七首》(屏風)を出品。
豊田市に漆屏風など作品100点を寄贈。
1995年
(平成7)
81歳 第27回日展に《夢・太古の星座》(漆パネル)を出品。
第34回日本現代工芸美術展に木芯乾漆立体《森神》を出品。
「漆芸の詩人高橋節郎」展開催(八十二文化財団、ギャラリー82・長野市)。
東京芸術大学名誉教授の称号を授与される。
文部省地域文化功労者として文化庁より表彰される。
豊田市美術館高橋節郎館開館。
高橋節郎館に収蔵する グランドピアノ《宇宙紀行》(漆)、モニュメント《童子神》(漆)、石彫《月面一歩》《仔馬》を完成。
「高橋節郎 漆 黒と金の物語 沈潜する原風景」が刊行。
1996年
(平成8)
82歳 第28回日展に《夢・縄文の星座》を出品。
第35回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《化石の森》を出品。
信濃毎日新聞社「信毎賞」を受賞する。
「虹色の漆-現代日本の漆芸展」(ニューヨーク・ジャパンソサエティーギャラリー、デンバー美術館)に《日岡月岡》を出品。
1997年
(平成9)
83歳 第29回日展に《夢-まほろばの星座》(漆パネル)を出品。
第36回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《森魂》を出品。
第18回オリンピック冬季競技大会(長野)の公式記念メダルのデザインを担当。
パリでフランスにおける日本年の一環として「漆の黒 光のメッセージ-現代日本の漆芸-高橋節郎」展を開催(朝日新聞社主催、在仏日本大使館・豊田市美術館後援、(三越エトワール))。
文化勲章を受章。
日本現代工芸美術家協会常任顧問に就任。
1998年
(平成10)
84歳 第30回日展に《新星誕生》(漆パネル)を出品。
第37回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《樹魂》を出品。
「漆の黒 光のメッセージ-高橋節郎」展を開催(豊田市美術館・高橋節郎館、東京・日本橋三越本店)。
豊田市名誉市民となる。
1999年
(平成11)
85歳 第31回日展に《古代からのメッセージ》(漆パネル)を出品。
第38回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《神々の山》を出品。
「高橋節郎墨彩展」開催(銀座和光)。
豊田市美術館高橋節郎館に収蔵するハープ《銀河響奏》(漆)完成。
穂高町(現安曇野市)に漆屏風、漆パネルなど作品50点を寄贈。
穂高町(現安曇野市)において(仮称)高橋節郎記念館建設検討委員会が発足する。
2000年
(平成12)
86歳 第32回日展に《地中物語》(漆パネル)を出品。
第39回日本現代工芸美術展に《樹魂》(木芯乾漆)を出品。
「ねりまの美術2000高橋節郎展-漆芸と絵画-」開催(練馬区立美術館)。
都営地下鉄大江戸線「汐留駅」のゆとりの空間に、陶壁レリーフ「日月星花」を完成。
ギャラリー有遊(安曇野市)において「漆芸と墨彩 高橋節郎展 ふるさと穂高町・高橋芸術の幻想的な世界」開催。
2001年
(平成13)
87歳 第33回日展に《四季物語》(漆パネル)を出品。
第40回記念日本現代工芸美術展に《山の端に月の出る》(木芯乾漆)を出品。
松本市美術館の名誉館長に就任。
「高橋節郎展-漆黒の宇宙からのメッセージ」開催(松本市、日本民俗資料館)。
松本市に《初秋》(墨彩画)を寄贈。
穂高町(現安曇野市)に、漆絵、漆クラフト作品などの作品、および資料を寄贈。
穂高町(現安曇野市)は(仮称)高橋節郎記念館建設工事に着手。
ギャラリー有遊(安曇野市)において「高橋節郎展 高橋芸術の足跡を識る」開催。
2002年
(平成14)
88歳 第34回日展に《森響》(漆パネル)を出品。
穂高町(安曇野市)に、漆パネル、漆レリーフなどの作品を寄贈。
松本市美術館に陶レリーフ「飛翔」を完成。
ギャラリー有遊(安曇野市)において「高橋節郎展 夢・まぼろば ふるさとを想う」開催。
2003年
(平成15)
89歳 穂高町(現安曇野市)に、安曇野高橋節郎記念美術館が開館する。
第35回日展に《萌生》(木芯乾漆レリーフ)を出品。
第42回日本現代工芸美術展に《望》(木芯乾漆)を出品。
都営地下鉄大江戸線汐留駅の陶壁レリーフ「日月星花」が「日本の鉄道パブリックアート大賞」の国土交通大臣賞を受賞。
2004年
(平成16)
90歳 安曇野高橋節郎記念美術館、豊田市美術館高橋節郎館、阪神百貨店において、 「卒寿記念 高橋節郎-漆絵から鎗金へ/1930-60年代」展開催。
第36回日展に《森のコンサート》(木芯乾漆レリーフ)を出品。
第43回日本現代工芸美術展に《望2》(木芯乾漆)を出品。
中部国際空港(愛知)ターミナルビル内に、陶壁レリーフ「天空翔翔」を完成。
2005年
(平成17)
91歳 安曇野高橋節郎記念美術館において、「『描きたい』自然を捉える-結城素明と高橋節郎」展開催。
JR福井駅新駅舎のコンコースに、陶板モニュメント「越前幸幸」を完成。
第37回日展に《森の千手観音》(木芯乾漆レリーフ)を出品。
第44 回日本現代工芸美術展に《望3》(木芯乾漆)を出品。
2006年
(平成18)
92歳 安曇野高橋節郎記念美術館において、「あこがれ/自由と自然と眼差しと 熊谷守一・高橋節郎」展開催。
第38回日展に《森の舞踏会》(木芯乾漆レリーフ)を出品。
第45 回記念日本現代工芸美術展に《望4》(木芯乾漆)を出品。
2007年
(平成19)
4月19日、肺炎のため逝去。享年92歳。
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