高橋節郎 年譜
Category : 安曇野高橋節郎記念美術館
年代 | 年齢 | 出来事 |
1914年 (大正3) |
0歳 | 9月14日、父太一・母梅見の三男として長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)に生まれる。 |
1921年 (大正10) |
7歳 | 北穂高村尋常小学校に入学。 |
1923年 (大正12) |
9歳 | 長野師範学校附属小学校に転校。ホープラージ牧師館に居住。 |
1924年 (大正13) |
10歳 | 松本尋常高等小学校旭町部に転校。 |
1927年 (昭和2) |
13歳 | 松本尋常高等小学校旭町部卒業、松本中学校(現松本深志高校)に入学。 |
松本中学時代 | 美術教師、宮坂勝と出会う。おおらかで温かい人柄と教育方針に、描くことの喜びを覚える。 | |
陸上競技部「天馬会」では競技に熱中、インターミドルにも出場した。また、父の近衛連隊時代の友人、結城素明の写生旅行(中房温泉)にも同行し、絶えずスケッチする姿に影響を受ける。 | ||
1932年 (昭和7) |
18歳 | 松本中学校を卒業。 |
1933年 (昭和8) |
19歳 | 東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。 |
美術学校時代 | 二科会研究所に通い、熊谷守一、有馬生馬、石井伯亭等に、デッサンや油絵を学ぶ。また、古賀春江のシュールレアリスムの作品に大きな影響を受け、古賀氏宅を訪ねたりもした。美校「上野の杜ラグビー部」では、スリーコーターウイングとして活躍。 | |
1938年(昭和13)、東京美術学校工芸科漆工部を卒業、卒業制作に衣装箱を提出。銀時計を受ける | ||
同校研究科に進む。 | ||
同年4月、金子徳次郎、黒瀬英雄、小杉二郎と「型會」を結成、銀座資生堂ギャラリーで「型會第一回発表」展開催。 | ||
また同年11月、草月流勅使河原蒼風家元と監事諸氏のいけばなによる、「高橋節郎創作漆芸花器第一回発表展」開催。 | ||
1939年(昭和14)には、第4回実在工芸美術展で実在工芸奨励賞を受賞。 | ||
1940年 (昭和15) |
26歳 | 東京美術学校研究科を修了。 |
紀元二六○○年奉祝展に《ひなげしの図小屏風》(漆屏風)を出品、初入選。 | ||
1941年 (昭和16) |
27歳 | 第4回新文展に《木瓜の図二曲屏風》(漆屏風)を出品、特選・政府買上げ。 |
1942年 (昭和17) |
28歳 | 第5回新文展に《漆朝夕衝立》(漆衝立)を出品、入選。 |
1943年 (昭和18) |
29歳 | 第6回新文展に《秋の色種漆棚》(漆棚)を出品、入選。 |
1944年 (昭和19) |
30歳 | 戦時特別展に《紅梅白梅漆手筥》(漆手筥)を出品、入選。 |
1946年 (昭和21) |
32歳 | 戦後、第1回日展に《菊籬蒔絵文庫》(漆文庫)を出品、入選。 |
第2回日展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、入選。 | ||
1947年 (昭和22) |
33歳 | 第3回日展に《花の手筥》(漆手筥)を出品、入選。 |
1949年 (昭和24) |
35歳 | 第5回日展に《花の星座壁面装飾》(漆パネル)を出品、入選。 |
株式会社マルニ工芸漆器製作所にて、輸出向けおよび駐留軍向けの金胎漆器のデザインを担当。 | ||
1951年 (昭和26) |
37歳 | 第7回日展に《星座》(漆パネル)を出品、特選、朝倉賞を受賞。 |
1952年 (昭和27) |
38歳 | 染川鉄之助、佐治賢使、蓮田修吾郎等と「創作工芸協会」を設立、同人になる。 |
資生堂ギャラリーで第1回創作工芸展を開催、《盛器》(盛器)《花器A》《花器B》《花器C》《花器D》《花器E》(花器)を出品 | ||
(第2回展より銀座和光で開催)。 | ||
第8回日展に漆パネル《街と花火》を無鑑査出品。 | ||
株式会社日本ドラム缶製作所デザイン部にて、ラッキープレートなどクラフト作品のヒット商品を生む。 | ||
1953年 (昭和28) |
39歳 | 第9回日展に《森》(漆屏風)を出品、審査員。 |
1954年 (昭和29) |
40歳 | 第10回日展に《踊り》(漆額)を出品。 |
「高橋節郎漆絵展」開催(松本開運堂画廊)。 | ||
1955年 (昭和30) |
41歳 | 第1回個展開催(日本橋三越)。 |
第11回日展に《都会の歌》(漆屏風)を出品。 | ||
1956年 (昭和31) |
42歳 | 日ソ招待展に《竹林蒔絵手筥》(漆手筥)を出品、ソビエト政府買上げ。 |
第12回日展に《都会にだってみのりはある》(漆屏風)を出品、川合玉堂資金により買上げ。 | ||
1957年 (昭和32) |
43歳 | 第2回個展開催(日本橋三越)。 |
第13回日展に《遙かなる郷愁》(漆パネル)を出品。 | ||
1958年 (昭和33) |
44歳 | 社団法人日展評議員になる。 |
第1回新日展に《作品58》(漆サイドボード)を出品、審査員 | ||
1959年 (昭和34) |
45歳 | 第2回新日展に《杉の木の寓話》(漆屏風)を出品。 |
「第2回高橋節郎スグラフィード漆絵展」開催(日本橋三越)。 | ||
1960年 (昭和35) |
46歳 | 第3回新日展に《蜃気楼》(漆屏風)を出品、文部大臣賞を受賞。 |
「創作工芸協会」から発展した工芸「円心」を蓮田修吾郎、帖佐美行、佐治賢使、辻光典、佐野猛夫、清水九兵衛らと設立、同人になり、第1回展開催(日本橋高島屋)。 | ||
1961年 (昭和36) |
47歳 | 第4回新日展に《蜃気楼「空中都市」》(漆屏風)を出品、審査員。 |
「円心」第2回展開催。 | ||
社団法人現代工芸美術家協会を結成。 | ||
1962年 (昭和37) |
48歳 | 「高橋節郎展」開催(日本橋画廊・東京)。漆の特質を生かした独創の漆絵版画(モノタイプ)、《断層》(A、B、C、D)、《流雲》(A、B、C)、《層土》(A、B、C、D)、《断雲》(A、B、C、D)、《層雲》(A、B、C、D)、《断壁》(A、B)を出品。 |
第5回新日展に《断層》(漆屏風)を出品。 | ||
第1回日本現代工芸美術展に《幻》(漆パネル)を出品。 | ||
「円心」第3回展開催、《静物》(漆パネル)を出品。 | ||
第1回和光展を開催。 | ||
1963年 (昭和38) |
49歳 | 第6回新日展に《化石》(漆パネル)を出品、審査員。 |
第2回日本現代工芸美術展に《跡》(漆パネル)を出品。 | ||
第12回五都展に漆絵《静物》を出品。 | ||
「円心」第4回展に漆絵版画《触》(A、B、C)を出品。 | ||
第2回和光展に《街の見える静物》(漆パネル)《花の街》(漆パネル)を出品。 | ||
1964年 (昭和39) |
50歳 | 日本現代工芸美術巡回メキシコ展、アメリカ展に出品。 |
第7回新日展に《化石譜》(漆屏風)を出品。 | ||
第3回日本現代工芸美術展に《古墳》(漆パネル)を出品。 | ||
第13回五都展に《紅梅白梅漆盛器》(漆盛器)を出品。 | ||
「円心」第5回展に《化石深海》(A、B)(漆パネル)を出品。 | ||
第3回和光展に《湖水の見える静物》(漆パネル)《果実女人》(漆パネル)《都会女人》(漆パネル)を出品。 | ||
1965年 (昭和40) |
51歳 | 前年の新日展出品作品に対して、第21回目本芸術院賞を受賞、日本芸術院買上げ。 |
ベルリン芸術祭に出品。 | ||
第8回新日展に《化石の年輪》(漆屏風)を出品。 | ||
第4回日本現代工芸美術展に《化石抄》(漆パネル)を出品。 | ||
「円心」第6回展に《森の見える静物》(漆パネル)《室内》(漆パネル)を出品。 | ||
第4回和光展に《地平線のみえる静物》(漆パネル)を出品。 | ||
1966年 (昭和41) |
52歳 | 日本現代工芸美術巡回ローマ展、協会代表として渡欧。 |
第9回新日展に《化石の森》(漆屏風)を出品。 | ||
第5回日本現代工芸美術展に《化石詩》(漆パネル)を出品。 | ||
松本市井上デパートで「高橋節郎」展を開催。 | ||
「円心」第7回展に《遠くに団地が見える》(漆パネル)《地平線の見える風景》(漆パネル)《静物》(漆パネル)を出品。 | ||
第15回五都展に漆盛器《花》を出品。 | ||
第5回和光展に《森の中の静物》(漆パネル)《みのり》(漆パネル)を出品。 | ||
1967年 (昭和42) |
53歳 | 日本現代工芸美術巡回ロンドン展、モントリオール展に出品。 |
第10回新日展に《化石譚》(漆屏風)を出品、審査員。 | ||
第6回日本現代工芸美術展に《化石群》(漆パネル)を出品。 | ||
「円心」第8回展に《ベニス・旅の印象》(漆パネル)《ノートルダム・旅の印象》(漆パネル)を出品。 | ||
第16回五都展に漆絵《花》を出品。 | ||
第6回和光展に《旅の印象》(A、B)(漆パネル)を出品。 | ||
1968年 (昭和43) |
54歳 | 日本現代工芸美術東欧巡回展に出品。 |
第11回新日展に《化石標》(漆屏風)を出品。 | ||
第7回日本現代工芸美術展に《化石帯》(漆パネル)を出品、東京都買上げ。 | ||
「円心」第9回展に《麦と静物》(漆パネル)《紫陽花》(漆パネル)《花の風船》(漆パネル)を出品。 | ||
第17回五都展に《花とレモン》(漆パネル)を出品。 | ||
第7回和光展に《パンジーと地平線》(漆パネル)《森の中の静物》(漆パネル)《花》(漆パネル)を出品。 | ||
1969年 (昭和44) |
55歳 | 改組第1回日展に《化石幻映》(漆屏風)を出品、理事に就任。 |
日本現代工芸美術巡回サンフランシスコ展、中南米展に出品。 | ||
第8回日本現代工芸美術展に《層》(漆パネル)を出品。 | ||
「円心」第10回展に《蛋気楼》(漆パネル)《丘の見える静物》(漆パネル)《あじさい》(漆パネル)を出品。 | ||
第8回和光展に《窓辺の静物》(漆パネル)《静物》(漆パネル)を出品。 | ||
1970年 (昭和45) |
56歳 | 第2回日展に《化石映像》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第9回日本現代工芸美術展に《海層》(漆パネル)を出品。 | ||
第19回五都展に《洋蘭》(漆パネル)を出品。 | ||
第9回和光展に《花》(漆パネル)《花》(漆パネル)《花》(漆パネル)を出品。 | ||
1971年 (昭和46) |
57歳 | 第3回日展に《悠久の記》(漆屏風)を出品。 |
第10回日本現代工芸美術展に《海碑》(漆パネル)を出品。 | ||
第20回五都展に《麦と花》(漆パネル)を出品。 | ||
第10回和光展に《花》(漆パネル)《山の見える静物》(漆パネル)を出品。 | ||
1972年 (昭和47) |
58歳 | 第4回日展に《天宙の記》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第11回日本現代工芸美術展に《紋》(漆パネル)を出品。 | ||
社団法人現代工芸美術家協会東京会会長に就任。 | ||
第21回五都展に《湖上静物》(漆パネル)を出品。 | ||
1973年 (昭和48) |
59歳 | 第5回日展に《金環の記》(漆屏風)を出品。 |
第12回日本現代工芸美術展に《遠い記憶》(漆パネル)を出品。 | ||
第22回五都展に《静物》(漆パネル)を出品。 | ||
1974年 (昭和49) |
60歳 | 第6回日展に《遠森の記》(漆屏風)を出品。 |
第13回日本現代工芸美術展に《遠い森の記憶》(漆パネル)を出品。 | ||
1975年 (昭和50) |
61歳 | 第7回日展に《星座創記》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第14回日本現代工芸美術展に《惜日譜》(漆パネル)を出品。 | ||
第24回五都展に《花》(漆パネル)を出品。 | ||
1976年 (昭和51) |
62歳 | 東京芸術大学美術学部教授に就任。 |
第8回日展に《古墳映像》(漆屏風)を出品。 | ||
第15回日本現代工芸美術展に《遠い森の饗宴》(漆パネル)を出品。 | ||
1977年 (昭和52) |
63歳 | 第9回日展に《古墳群映》(漆屏風)を出品。 |
第16回日本現代工芸美術展に《宙》(漆パネル)を出品。 | ||
東京都美術館運営審議会委員をつとめる(1986年まで)。 | ||
1978年 (昭和53) |
64歳 | 第10回日展に《古墳借景》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第17回日本現代工芸美術展に《標》(漆パネル)を出品。現代工芸美術家協会理事長に就任。 | ||
第27回五都展に《双花》(漆パネル)を出品。 | ||
1979年 (昭和54) |
65歳 | 第11回日展に《古墳月彩》(漆屏風)を出品、監事。 |
第18回日本現代工芸美術展に《遺跡の跡》(漆パネル)を出品。 | ||
「近代日本の漆芸」展 (東京国立近代美術館工芸館)に《古墳群映》(漆屏風)を出品。 | ||
1980年 (昭和55) |
66歳 | 第12回日展に《樹下小憩》(漆パネル)を出品、審査員。 |
第19回日本現代工芸美術展に《花饗》(漆パネル)を出品。 | ||
社団法人日本漆工協会副会長に就任、漆工功労者として表彰される。 | ||
1981年 (昭和56) |
67歳 | 第13回日展に《樹下好景》(漆パネル)を出品、理事に再任。 |
第20回日本現代工芸美術展に《春待賦》(漆パネル)を出品。 | ||
「東京芸術大学教授退官記念・高橋節郎展」(東京芸術大学陳列館)を開催。同館に《惜日譜》を寄贈。 | ||
作品集『漆・黒と金の世界』を刊行。 | ||
日本芸術院会員に推挙される。 | ||
1982年 (昭和57) |
68歳 | 第14回日展に《古墳松韻》(漆屏風)を出品、審査主任。日展常務理事に就任。 |
第21回日本現代工芸美術展に《丘陵好日》(漆パネル)を出品。 | ||
社団法人現代工芸美術家協会副会長に就任。 | ||
東京芸術大学美術学部教授を定年により退官。 | ||
小原流家元小原豊雲と二人展を開催(銀座松坂屋)。 | ||
「近代日本の漆芸」展(ベルリン国立美術館アルテスムゼウム、ドレスデン国立美術館ピルニッツ工芸館)に《古墳群映》を出品。 | ||
穂高町(現安曇野市)名誉町民となる。 | ||
1983年 (昭和58) |
69歳 | 第15回日展に《古墳星河》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第22回日本現代工芸美術展に《追憶記》(漆パネル)を出品。 | ||
「素描」展を開催(銀座松屋)。信州美術会会長に就任。 | ||
「高橋節郎自選展」開催(松本日本民俗資料館)。 | ||
松本市に《樹下好景》(漆パネル)を寄贈、翌年紺綬褒章を受章。 | ||
1984年 (昭和59) |
70歳 | 第16回日展に《古墳春秋》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第23回日本現代工芸美術展に《麦中譜》(漆パネル)を出品。 | ||
「北信濃を描く-高橋節郎展」開催(銀座松屋)。 | ||
「黒と金の世界高橋節郎」展開催(豊田市民文化会館・豊田市)。 | ||
豊田市に漆屏風、漆パネルを含む作品75点を寄贈する。 | ||
穂高町合併30周年記念「高橋節郎展」開催(穂高町(現安曇野市)陶芸会館)。 | ||
フジテレビ「テレビ美術館」に出演する。 | ||
1985年 (昭和60) |
71歳 | 第17回日展に《古墳悠悠》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第24回日本現代工芸美術展に《陽春賦》(漆パネル)を出品。 | ||
文部省大学設置審議会専門委員に就任。 | ||
練馬区立美術館運営協議会委員に就任。 | ||
豊田市に財団法人高橋記念美術振興財団が設立、豊田市文化賞を受賞。 | ||
1986年 (昭和61) |
72歳 | 第18回日展に《星座回帰》(漆屏風)を出品。 |
第25回日本現代工芸美術展に《風光讃歌》(漆パネル)を出品。 | ||
「高橋節郎四季風景墨彩とうた」展開催(銀座松屋)。 | ||
「高橋節郎ロマンの世界」展開催(豊田市民文化会館・豊田市)。 | ||
「漆黒に煌く高橋節郎ロマンの世界-漆芸50年の軌跡」展開催(長野県信濃美術館)。 | ||
勲三等瑞宝章を受章。 | ||
1987年 (昭和62) |
73歳 | 第19回日展に《星座無限》(漆パネル)を出品。 |
第26回日本現代工芸美術展に《天恵》(漆パネル)を出品。 | ||
「高島屋美術部創設八○年記念 鎗金と蒔絵 高橋節郎」展開催(高島屋、東京・大阪)。 | ||
「東京芸術大学創立100周年記念 新体制から今日まで歴代教官の美の精華」展に《古墳悠悠》(漆屏風)《風光讃歌》(漆パネル)を出品。 | ||
埼玉県蕨市三学院極楽寺の障壁画《山河静動》を完成。 | ||
1988年 (昭和63) |
74歳 | 第20回日展に《星座煌煌》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第27回日本現代工芸美術展に《晴れ日》(漆パネル)を出品。 | ||
「星と海と高橋節郎漆芸」展開催(猿投棒の手ふれあい広場・豊田市)。 | ||
「日展八十年記念」展(銀座松屋)に《古墳春秋》(漆屏風)を出品。 | ||
1989年 (平成1) |
75歳 | 第21回日展に《日岡月岡》(漆屏風)を出品。 |
第28回日本現代工芸美術展に《麦丘》(漆パネル)を出品。 | ||
「神秘と浪漫の煌き 高橋節郎」展開催(朝日新聞社主催、銀座松屋)。 | ||
1990年 (平成2) |
76歳 | 第22回日展に《澄高》(漆屏風)を出品。 |
第29回日本現代工芸美術展に《花天》(漆パネル)を出品。 | ||
文化功労者に顕彰される。 | ||
長野県知事より芸術文化功労者として表彰される。 | ||
1991年 (平成3) |
77歳 | 第23回日展に《星空円舞》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第30回日本現代工芸美術展に《万化》(漆パネル)を出品。 | ||
「日本現代工芸美術第30回記念秀作展」に《麦丘》(漆パネル・当館所蔵)を出品。 | ||
「アジア漆文化21世紀の展望中国現代漆画」展(日中友好会館) 開催記念シンポジウムのパネリストをつとめる。 | ||
1992年 (平成4) |
78歳 | 第24回日展に《満天星花》(漆屏風)を出品、審査員。 |
第31回日本現代工芸美術展に《春秋譚》(漆パネル)を出品。 | ||
「伝統と前衛 今日の日本における工芸」展(ドイツ、フランクフルト市立工芸美術館)に《月光》(漆飾盤)を出品。 | ||
長野県松本文化会館大ホールの緞帳《慶雲(孔雀雲)》を完成。 | ||
日本現代工芸美術長野会特別展示「高橋節郎」展開催(長野県立松本文化会館ホール)。 | ||
河北新報社95周年記念第1回河北工芸展に《爽やかなる室内》(漆パネル)を出品、審査員。 | ||
「石川県輪島漆工芸美術館開館記念特別展 現代漆芸の巨匠たち」展に《惜日譜》(漆パネル)を出品。 | ||
伊勢神宮式年遷宮記念美術館に《献華》(漆パネル)を献納。 | ||
1993年 (平成5) |
79歳 | 第25回日展に《星空交響詩》(漆屏風)を出品。 |
第32回日本現代工芸美術展に《四季抄》(漆パネル)を出品。 | ||
第2回河北工芸展(河北新報社主催)に《月光》(漆飾盤)を出品、審査員。 | ||
「松本市民タイムス安曇野支社落成記念 高橋節郎展」開催(同支社ホール)。 | ||
NHKテレビ「土曜美の朝」に出演。 | ||
1994年 (平成6) |
80歳 | 第26回日展に《星座物語》(漆屏風)を出品。 |
第33回日本現代工芸美術展に《春秋譜》(漆パネル)を出品。 | ||
「高橋節郎展一漆屏風・木芯乾漆・蒔絵飾盤・墨彩一」を開催(日本橋三越本店)。 | ||
「日本古典秀作書道」展(日本橋東急)に《万葉七首》(屏風)を出品。 | ||
豊田市に漆屏風など作品100点を寄贈。 | ||
1995年 (平成7) |
81歳 | 第27回日展に《夢・太古の星座》(漆パネル)を出品。 |
第34回日本現代工芸美術展に木芯乾漆立体《森神》を出品。 | ||
「漆芸の詩人高橋節郎」展開催(八十二文化財団、ギャラリー82・長野市)。 | ||
東京芸術大学名誉教授の称号を授与される。 | ||
文部省地域文化功労者として文化庁より表彰される。 | ||
豊田市美術館高橋節郎館開館。 | ||
高橋節郎館に収蔵する グランドピアノ《宇宙紀行》(漆)、モニュメント《童子神》(漆)、石彫《月面一歩》《仔馬》を完成。 | ||
「高橋節郎 漆 黒と金の物語 沈潜する原風景」が刊行。 | ||
1996年 (平成8) |
82歳 | 第28回日展に《夢・縄文の星座》を出品。 |
第35回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《化石の森》を出品。 | ||
信濃毎日新聞社「信毎賞」を受賞する。 | ||
「虹色の漆-現代日本の漆芸展」(ニューヨーク・ジャパンソサエティーギャラリー、デンバー美術館)に《日岡月岡》を出品。 | ||
1997年 (平成9) |
83歳 | 第29回日展に《夢-まほろばの星座》(漆パネル)を出品。 |
第36回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《森魂》を出品。 | ||
第18回オリンピック冬季競技大会(長野)の公式記念メダルのデザインを担当。 | ||
パリでフランスにおける日本年の一環として「漆の黒 光のメッセージ-現代日本の漆芸-高橋節郎」展を開催(朝日新聞社主催、在仏日本大使館・豊田市美術館後援、(三越エトワール))。 | ||
文化勲章を受章。 | ||
日本現代工芸美術家協会常任顧問に就任。 | ||
1998年 (平成10) |
84歳 | 第30回日展に《新星誕生》(漆パネル)を出品。 |
第37回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《樹魂》を出品。 | ||
「漆の黒 光のメッセージ-高橋節郎」展を開催(豊田市美術館・高橋節郎館、東京・日本橋三越本店)。 | ||
豊田市名誉市民となる。 | ||
1999年 (平成11) |
85歳 | 第31回日展に《古代からのメッセージ》(漆パネル)を出品。 |
第38回日本現代工芸美術展に木芯乾漆《神々の山》を出品。 | ||
「高橋節郎墨彩展」開催(銀座和光)。 | ||
豊田市美術館高橋節郎館に収蔵するハープ《銀河響奏》(漆)完成。 | ||
穂高町(現安曇野市)に漆屏風、漆パネルなど作品50点を寄贈。 | ||
穂高町(現安曇野市)において(仮称)高橋節郎記念館建設検討委員会が発足する。 | ||
2000年 (平成12) |
86歳 | 第32回日展に《地中物語》(漆パネル)を出品。 |
第39回日本現代工芸美術展に《樹魂》(木芯乾漆)を出品。 | ||
「ねりまの美術2000高橋節郎展-漆芸と絵画-」開催(練馬区立美術館)。 | ||
都営地下鉄大江戸線「汐留駅」のゆとりの空間に、陶壁レリーフ「日月星花」を完成。 | ||
ギャラリー有遊(安曇野市)において「漆芸と墨彩 高橋節郎展 ふるさと穂高町・高橋芸術の幻想的な世界」開催。 | ||
2001年 (平成13) |
87歳 | 第33回日展に《四季物語》(漆パネル)を出品。 |
第40回記念日本現代工芸美術展に《山の端に月の出る》(木芯乾漆)を出品。 | ||
松本市美術館の名誉館長に就任。 | ||
「高橋節郎展-漆黒の宇宙からのメッセージ」開催(松本市、日本民俗資料館)。 | ||
松本市に《初秋》(墨彩画)を寄贈。 | ||
穂高町(現安曇野市)に、漆絵、漆クラフト作品などの作品、および資料を寄贈。 | ||
穂高町(現安曇野市)は(仮称)高橋節郎記念館建設工事に着手。 | ||
ギャラリー有遊(安曇野市)において「高橋節郎展 高橋芸術の足跡を識る」開催。 | ||
2002年 (平成14) |
88歳 | 第34回日展に《森響》(漆パネル)を出品。 |
穂高町(安曇野市)に、漆パネル、漆レリーフなどの作品を寄贈。 | ||
松本市美術館に陶レリーフ「飛翔」を完成。 | ||
ギャラリー有遊(安曇野市)において「高橋節郎展 夢・まぼろば ふるさとを想う」開催。 | ||
2003年 (平成15) |
89歳 | 穂高町(現安曇野市)に、安曇野高橋節郎記念美術館が開館する。 |
第35回日展に《萌生》(木芯乾漆レリーフ)を出品。 | ||
第42回日本現代工芸美術展に《望》(木芯乾漆)を出品。 | ||
都営地下鉄大江戸線汐留駅の陶壁レリーフ「日月星花」が「日本の鉄道パブリックアート大賞」の国土交通大臣賞を受賞。 | ||
2004年 (平成16) |
90歳 | 安曇野高橋節郎記念美術館、豊田市美術館高橋節郎館、阪神百貨店において、 「卒寿記念 高橋節郎-漆絵から鎗金へ/1930-60年代」展開催。 |
第36回日展に《森のコンサート》(木芯乾漆レリーフ)を出品。 | ||
第43回日本現代工芸美術展に《望2》(木芯乾漆)を出品。 | ||
中部国際空港(愛知)ターミナルビル内に、陶壁レリーフ「天空翔翔」を完成。 | ||
2005年 (平成17) |
91歳 | 安曇野高橋節郎記念美術館において、「『描きたい』自然を捉える-結城素明と高橋節郎」展開催。 |
JR福井駅新駅舎のコンコースに、陶板モニュメント「越前幸幸」を完成。 | ||
第37回日展に《森の千手観音》(木芯乾漆レリーフ)を出品。 | ||
第44 回日本現代工芸美術展に《望3》(木芯乾漆)を出品。 | ||
2006年 (平成18) |
92歳 | 安曇野高橋節郎記念美術館において、「あこがれ/自由と自然と眼差しと 熊谷守一・高橋節郎」展開催。 |
第38回日展に《森の舞踏会》(木芯乾漆レリーフ)を出品。 | ||
第45 回記念日本現代工芸美術展に《望4》(木芯乾漆)を出品。 | ||
2007年 (平成19) |
4月19日、肺炎のため逝去。享年92歳。 |