高橋節郎の技法
鎗 金(そうきん) 日本でいう「沈金(ちんきん)」の中国での呼び名が鎗金であるが、高橋節郎は、沈金技法をもとにしながら、いろいろ工夫を施し、線の細い表現により、金の濃淡や陰影の効果などを可能とした。伝統的な沈金とはやや異なっているため、高橋節郎はあえて自分の技法を「鎗金」と呼び、区別している。 漆を塗り重ねた面に刀で文様を彫り、その溝に漆を接着剤としてすり込んで、漆が乾く間際に金箔や金粉を埋める。・・・
鎗 金(そうきん) 日本でいう「沈金(ちんきん)」の中国での呼び名が鎗金であるが、高橋節郎は、沈金技法をもとにしながら、いろいろ工夫を施し、線の細い表現により、金の濃淡や陰影の効果などを可能とした。伝統的な沈金とはやや異なっているため、高橋節郎はあえて自分の技法を「鎗金」と呼び、区別している。 漆を塗り重ねた面に刀で文様を彫り、その溝に漆を接着剤としてすり込んで、漆が乾く間際に金箔や金粉を埋める。・・・
年代 年齢 出来事 1914年 (大正3) 0歳 9月14日、父太一・母梅見の三男として長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)に生まれる。 1921年 (大正10) 7歳 北穂高村尋常小学校に入学。 1923年 (大正12) 9歳 長野師範学校附属小学校に転校。ホープラージ牧師館に居住。 1924年 (大正13) 10歳 松本尋常高等小学校旭町部に転校。 1927年 (昭和2) 13歳 松本尋常高等・・・
高橋節郎紹介 高橋節郎(たかはし せつろう 1914(大正3)年-2007(平成19)年) 長野県、現安曇野市(穂高)出身 漆芸術家 文化勲章受章・文化功労者 東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科漆工部卒。 同校研究科修了。日本芸術院会員。東京藝術大学名誉教授、 日展顧問、現代工芸美術家協会常任顧問、信州美術会会長などを務めた。 高橋節郎は1914年、現安曇野市穂高に生まれました。少年期を穂高町、・・・
Information ■ Hours 9 a.m.- 5 p.m. ■ Closed losed Mondays(though in cases where a public holiday falls on a Monday, the museum will open but be closed the following weekday) and December 28 – J・・・
旧高橋家住宅 (国登録有形文化財) 旧高橋家住宅は高橋節郎の生家で、安曇野の昔ながらの暮らしを今に伝える文化財として、国の有形文化財に登録されています。 主屋・南の蔵・西の蔵・北の蔵から構成されており、その庭園は四季折々に美しく色付きます。 旧高橋家住宅主屋 旧高橋家主屋は、美術館開館時に江戸時代の形に復元しており、内部は展示やイベントに使用できるよう改装してあります。 講演会、大規模な講習会など・・・